金山(かなやま)は、和銅山・祝山や妙ヶ峠に連なる山の名前で、現在はかなり広い部分の地域を指す地域名でもあります。そこに銅製錬所跡や鉱坑が数ヶ所散在しています。古い記録などをたどると五ヶ所八本が最多のようですが、現在は遊歩道に沿って3ヶ所4本の坑道口を見ることができます。
銅製錬所跡及びその周辺から出土した遺物の中には、室町時代に作られた金銅仏の菩薩立像(虚空像様と地元では呼んでいます)があります。昭和9年に製錬所の溶鉱炉跡のかたわらから発掘されました。その他、付近の畑地から出土した煙管の雁首4個と吸い口1個があります。形状等から江戸期前半のものと思われます。溶鉱炉は径三尺、深さ二尺五寸程の白粘土製の坩堝であることが確認されています。その付近には「からみ」(いわゆるスラグ、カナクソとも言われる精錬時に出る「かす」)が沢山ありました。
坑道はノミを使って掘られています。四六のかせ(横四尺縦六尺の坑)、五六のかせ、大下り(降り掘り坑)などと呼ばれた坑がありますが、掘り進む方向や深さ(長さ)が、江戸末期の記録に残されています。なおこれらの鉱坑は、伝承によって精錬所跡から順に上に向かって、徳川家康、大久保石見守、武田信玄の坑区などと名付けられています。
このように遺物、伝承等から見て、今から500~300年前の銅採掘坑であって、直接和銅の時代との関連は薄いもののようですが、和銅山から金山一帯にわたって銅の鉱床が広がっていることを実証する遺跡であることは間違いありません。
500~300年前の銅採掘地。秩父市指定史蹟