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「和銅」関係年表

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「和銅」関係年表

【出典】 紀(日本書紀) 続(続日本紀) 岩(岩波「日本史年表」)

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西暦 天皇 和暦 干支 事項
621 推古 29 辛巳 唐の高祖が「開元通寳」を新鋳
674 天武 3 甲戌 対馬から銀が産出する(3月7日)
★紀「凡そ銀の倭国に有ることは、初めて此の時に出えたり」
683 天武 12 癸未 銅銭を用い、銀銭を禁ずる(4月15日)
★紀「銀用ゐること止むこと莫れ」(4月18日)<銀銭の流通は禁止するが、地金の銀の流通は妨げないということで、天武年間に地金の銀の貨幣的流通が存在していたことを示す史料>
691 持統 5 辛卯 伊予国(愛媛県)より白銀献る(7月3日)
694 持統 8 甲午 大宅麻呂らを鋳銭司の官人に任ずる
698 文武 2 戊戌 周防国が銅鉱を献じた(9月25日)
対馬に命じて、金を生産させる(12月5日)
699 文武 3 己亥 鋳銭司を置く(12月20日)
703 文武 大宝3 癸卯 紀伊国(和歌山県)が銀を献る(5月9日)
708 元明 和銅1 戊申
武蔵国秩父郡より和銅献上。年号を和銅と改元する(1月11日)
催鋳銭司を置く(2月11日)
和同銀銭発行(5月11日)
近江国に銅銭を鋳造させる(7月26日)
和同銅銭発行(8月10日)
709 元明 和銅2 己酉 銀銭私鋳に罰則の詔が出る(1月25日)
銅銭使用の督励の命令が出る(3月28日)
銀銭廃止。銅銭だけを流通貨幣とする(8月2日)
★続「河内の鋳銭司の官属~」(8月2日同条に見える)
<河内鋳銭司の所在地は未詳。大阪府藤井寺市・柏原市にあてる説(柏原市史)もある>
710 元明 和銅3 庚戌 太宰府(福岡県)銅銭を献上(1月15日)
★太宰府管下に鋳銭司を設置したという文献資料は見えず鋳銭の遺跡も発見されていない
播磨国(兵庫県)銅銭を献上(1月27日)
★播磨国に鋳銭司が存したか否かは未詳
再び銀銭の使用を禁止(9月18日)
711 元明 和銅4 辛亥 穀6升を銭1文に相当するとす(5月15日)
★百姓が持っている穀を銭に換えることによって利をうけることを目的にした法令(銭の普及を意図?)
位階による俸禄の支給規定を定める(10月23日)
★銭では二千文から十文までの支給額が示されている
蓄銭叙位法を定める(10月23日)
★従六位以下の者で蓄銭十貫文以上は位一階、廿貫文以上は位二階を進めて叙するなどとした。
私鋳銭の罰則を定める(10月23日)
蓄銭の人たちに初めて位を叙した(11月4日)
蓄銭叙位の追加法が出され、位階をもたない人々にも有位者への道が開かれた(12月20日)
★無位は七貫、白丁(位がなく出仕していない者)は十貫で位に与かる限度とした。
712 元明 和銅5 壬子 諸国から京に来た役夫(労役人夫)・運脚(調・庸の物を運ぶ)の飢乏を救済する対策の詔が出る(10月29日)
★続「銭を用いる便を知らしめよ」<重い米を携行させず、銭を持たせて、途中の糧食の欠乏を救うための対策であり、和同開珎の普及をも目的としたようである>
調銭(調を現物でなく銭で納める)の換算基準を定める(12月7日)
★続「銭五文をもって布一常(一丈三尺)にあてよ」
<当時の和銅銭の普及状況から対象は畿内と考えられるようである>
713 元明 和銅6 癸丑 初めて度(長さ)量(容積)、調・庸、義倉(各戸の資材を銭に換算してかけられる税)の制を定む(2月19日)
「蓄銭を郡司の任用条件にする」「運脚には銭を携行させる」「田の売買(賃租)に銭を使用させる」等の詔が出る(3月19日)
<銭貨が社会の中で動き出すことを期待した策>
714 元明 和銅7 甲寅 択銭禁止令(9月20日)
<交易に際し、鋳造不良の銭貨の受け取りを拒否すること(択銭)を禁止する制。私鋳銭は破却するが、官銭は多少の鋳造不良の場合でも受け取りを拒否してはならないとした>
716 元正 霊亀2 戊午 太宰府管内の白鉛私蔵を禁じる(5月21日)
<私鋳銭を取り締まるため、その材料となる白鉛の私蔵を禁じた詔。私鋳銭の盛んな背景には、和同銅銭の流通があったと見てよいか>

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