コンテンツ本文へスキップ
プリローダーイメージ
スマートフォンサイトはこちら

和銅と和同

コンテンツタイトル下地

和銅と和同

銭笵(鋳型)の破片
銭笵(鋳型)の破片

初期の和同開珎の鋳造には、銭笵(せんぱん)と呼ばれる素焼きの鋳型が使用されていた。写真は山口県長府鋳銭所の跡から出土した破片。

続日本紀に明記されている、「和銅」や「秩父」という文字が史料の上に出てきた始めです。「和同開珎」のことは直接書かれてはいませんが、時代が下って発掘されたものの中に「和同開珎」という文字のある銭があり、史料研究の結果、「和銅」の時代に鋳造された銭が「和同開珎」であることがわかりました。

「和同」は銭貨に関係する文字と考えられますので、「和銅」という文字とは区別しなくてはなりません。

1 「和銅」とは自然銅のことで、年号の名前

和銅のことが初めて史料の上に現れた頃は、「にきあかがね」とも言っていました。「にき」又は「にぎ」とは奈良・平安の時代には「和」とか「熟」の字にあたり、「和銅」つまり「熟銅」ということで、非常に純度の高い自然銅のことだったようです。銭を鋳造するのもたやすかったのです。その貨幣の発行を記念してつけた年号が「和銅」なのです。

2 「和同開珎」は日本最初の通貨

「和同」「和銅」ともに「わどう」と読むので混乱をおこしやすいのですが、意味内容や使われ方には、はっきりとした違いがあります。学説はいろいろありますが、「和同」が銭の名前という事実は動かせないのです。

和同開珎 目次ページへ

コンテンツ本文の先頭へ戻る ページの先頭へ戻る
コンテンツ本文の先頭へ戻る ページの先頭へ戻る