続日本紀に明記されている、「和銅」や「秩父」という文字が史料の上に出てきた始めです。「和同開珎」のことは直接書かれてはいませんが、時代が下って発掘されたものの中に「和同開珎」という文字のある銭があり、史料研究の結果、「和銅」の時代に鋳造された銭が「和同開珎」であることがわかりました。
「和同」は銭貨に関係する文字と考えられますので、「和銅」という文字とは区別しなくてはなりません。
和銅のことが初めて史料の上に現れた頃は、「にきあかがね」とも言っていました。「にき」又は「にぎ」とは奈良・平安の時代には「和」とか「熟」の字にあたり、「和銅」つまり「熟銅」ということで、非常に純度の高い自然銅のことだったようです。銭を鋳造するのもたやすかったのです。その貨幣の発行を記念してつけた年号が「和銅」なのです。
「和同」「和銅」ともに「わどう」と読むので混乱をおこしやすいのですが、意味内容や使われ方には、はっきりとした違いがあります。学説はいろいろありますが、「和同」が銭の名前という事実は動かせないのです。